曲の美しさ、感じていますか?

たいていの芸術には、芸術的行為を行う上での題材が存在します。例えば、写真ならば被写体、人物画ならばモデル、書道ならば文字・・、これが音楽の場合ならば題材は「楽曲」となります。

 

どの芸術でも、まずは取り上げる題材の美しさを感じ、それを引き出す、表現することが目標となります。

「美しく表現する」ってどういうこと?

サックスサクソフォン)等、器楽演奏の際にも、様々な楽曲を題材として取り上げ、その美しさを表現するべく試みるわけです。実はこれは即興の音楽、ジャズの場合でも同様です。即興が中心になるとはいえ、土台となるテーマメロディーがあり、そのサウンドから即興演奏を生み出しています。

ここまでのお話は、話としては極めて当たり前に聞こえることでしょう。「楽曲を美しく表現する」、楽器演奏に取り組む者であれば、「今更何をいっているんだ」とお思いかもしれません。しかし今一度考えてください。それは具体的にはどういうことでしょう?大半の人は「楽曲を美しく表現する」=「正しく、ミスが無く、整った状態で音にすること」だと考えているはずです。でもそれって、真実ですか?もしもそうだとすれば、コンピューターに打ち込んで機械的に再生させた音を鳴らすことが、一番楽曲を美しく表現することになりませんか?

楽曲は美しい!

結論から言えば、楽曲を美しく表現するための具体的な方法など存在しません。そんなの、言葉にして説明できるはずがないのです。もしも、答えることができる人がいたら、是非、教えていただきたいです。しかしながら、一つだけ明快に分かっている事実があります。演奏の際に取り上げる楽曲、これ自体は間違いなく美しいのです。少なくとも、ある程度の期間、世間で愛奏されてきた楽曲の中に、美しくないものはまず存在しません。

にもかかわらず、演奏中に楽曲の美しさを感じている人は意外に少ないようです。楽曲の美しさを味わう事よりも、楽曲を美しく演奏しなければならない、つまり、先ほど指摘したように「正しく、ミスが無く、整った状態で」という考えに捉われ、頭の中がいっぱいになってしまうようなのです。もちろんこの状態ではよい演奏ができるはずはありません。

 

実はそのあたりは、私の著作「楽器演奏が楽しくなるココだけの話」で解説した「楽器演奏を難しくする思い込み」そのものなのです。詳しくは是非、拙著をご覧いただければと思います。

楽曲の美しさを探し求める

私、鈴木学自身、この事実を完全に理解したのはごく最近のことです。鈴木サキソフォンスクールでのレッスンの最中に、生徒さんの演奏を聞き、問題点解決の糸口を探っている際に気づきました。「ひょっとして、演奏中にこの曲の美しさを感じていないのでは?」という問いに対して「そんなことは考えたことが無かったです」という答えが返ってきたのです。

それをきっかけに、私自身の演奏中の心理を振り返ってみました。私の場合、とりあえず何らかのメロディーを演奏していれば、まずそれだけで幸せです。「この曲は何回演奏してもキレイだなあ」とか、「あっ!この部分にこんな美しさがあったんだ!」とか、常にメロディーに内包されている「美」を探り、それを味わう事が、私にとって楽器を演奏することなのです。

その気づきの後、生徒さんに対して「この曲はみんなから愛され続けた名曲、つまり美しい曲なのです。せっかく演奏するのだから、吹きながら、この曲の美しさを探してみませんか?あくまで『楽曲の美しさ』というのがポイントです。『自分の演奏がうまくできているか』と、はっきり分けて考えることが大切です」と伝えました。

初めのうちは、その区別がつかない様子でも、「自分の演奏は棚に上げてよいですからね~」とか声をかけていくうちに、気が付くと演奏が大きく変化します。もちろん実際のレッスンでは、生徒さんの個性に対応して、もっと様々な言葉で説明しますが、ごくごく簡単に言えば「自分の演奏の美しさではなく、楽曲本来の美しさ」に気持ちを集中することができたら、確実に演奏が激変するのです。

よくよく考えれば、これは当たり前のことです。例えば絵を描く場合だって、目の前に見えているものを美しいと感じるから描くわけです。そしてもちろん詳細に観察し、その美しさをより深く探るでしょう。その結果が絵に反映されるわけで、音楽の場合だって全く同一のはずです。

演奏中の奏者の「きれいなメロディーだなあ」という感動が、音となって聴衆に伝わる・・、これが楽器の演奏です。そもそも、演奏者自身がきれいな曲だと感じていなかったら、聴衆にも美しいと感じられるはずはないです。楽器の演奏中は楽曲の美しさをより深く探し求めましょう。美しさを味わい堪能しましょう。それこそが楽器の上達への最大の秘訣なのです!