音符に表現できない音世界、ブルース

ジャズをやる上で、ジャズがブルースから受けた影響を無視するわけにはいきません。アメリカンミュージックの根幹として、ブルースは大変大きな意味を持っています。・・というわけで、私、鈴木学は折に触れてブルースを聞きなおしているのですが、年々、その素晴らしさが心に沁みてくるというか、深くハマっていくように思えます。

音符に書けない表現

そして、このところ個人的に、音楽に関して思考する際、大きなテーマとなっているのが、①楽譜、音符に書けない音表現、もしくは②音符に記された情報以上の表現の価値、音楽的意味についてです。

例えば、クラシック演奏の場合でも、同じ譜面を演奏していても、感動的な名演に聞こえたり、退屈なBGMに聞こえたりしますよね?それは明らかに②の要素が影響しているはずですが、その差について考える機会が増えているのです。

世間一般には、同じ楽譜、譜面を演奏すれば、誰でも同じ音楽を生みだすことになると信じられているようですが、そんなことはありえません。

今日久々にブルースを聞き返していて、上記①②、「音符にできない表現の価値」について、ブルースはその最高峰レベルの表現だと気づきました。ブルースの歌、そしてギター等楽器の表現について、西洋音楽の楽譜、音符に変換したり、音符として表現のニュアンスを書き記すことが困難な部分が、非常に多いのです(ブルースは楽譜を見て演奏する音楽ではないし、楽譜に変換する事を想定した音楽ではないので、ある意味当然とも言えますが・・)。

ブルースの表現

極上のブルースを聞くと、歌詞、言葉の内容が理解できなくても、その表現から伝わってくるものがあります。演奏者の人間力、その日の気持ち、この歌に向かい合った時のパッション。それらは全て①②の音ばかりです。音程が無い(つまり音符に書けない)音も多々あるし、時折含まれる音符に書けそうな音であっても、それには当然のように、音符では表現できない、その演奏者ならではの表現が付加されます。

 

基本的に西洋音楽の演奏者は、音符に書ける音しか演奏できません。そうなるべく、訓練を積んでいるのですから、それは当たり前のことですし、音符に書かれた情報をもとに、美しい音楽を生み出すのは、素晴らしい技術です。

とはいえ、たとえ楽譜に書ける音であっても、②音符に記された情報以上の表現を付与することは、音楽を演奏する上で極めて重要です。少なくとも、これが表現されている演奏は、表面的に譜面どおり正確になぞっているだけ演奏の、数段上の価値を持つと思います。事実、極上のクラシック演奏を聞けば、楽譜に書かれた以上のことが伝わってきます。

そして、ジャズを演奏する場合ならば、ジャズの起源にブルースがある以上、ブルース独特の、①音符に書けない音も表現する必要があります。更に、音符に書ける音についても、②音符の情報以上の表現をするのが、ジャズ演奏としては常識であるべきなのでは?・・考えれば考えるほど、こう思えてなりません。

今後もこの問題は、研究課題として突き詰めていきます。皆様、是非ご参考にしてください。