歌に込められたメッセージ

少なくとも音楽、、ジャズ、サックス(サクソフォン)等の楽器演奏について、現代の奏者の方が以前の奏者よりも、全てにおいて優れているなんてはずはありません。

過去の人々の活動、業績について思いを巡らせるとき、現代人の感覚、常識を基準に、評価を下すのは厳に慎むべき...。私、鈴木学はジャズ黄金時代のジャズメンの演奏を分析したり、その演奏中の心理について察する場合、常にそのように自分に言い聞かせます。当時の人々のおかれた環境、当時の常識、人々の心情を慮る必要があるのです。

現代の目線で過去を断罪する罪

少なくとも音楽、ジャズ、サックス(サクソフォン)等の楽器演奏について、現代の奏者の方が以前の奏者よりも、全てにおいて優れているなんてはずはありません。「時代が新しい方が進化、進歩しているはず」という思い込みは現代人の傲慢さの表れだと思うのです。

現代日本に生きる人間にとって、先の大戦「太平洋戦争」「大東亜戦争」をどのように意味づけるのか、というのは非常に難しい問題です。もちろん戦争という国同士の武力による争いが好ましくない、そして人間同士の殺し合いは不幸なことであるのは自明のこととして、私個人的には「一人一人の立場、年齢によって、様々な意見に分かれるのは当然、これが正しいという一つの正解は存在しない」と考えています。

連ドラ「エール」での違和感

今期の某国営放送の朝の連続ドラマ「エール」では、先の戦争の話がこういったドラマの中では比較的生々しく描写されています。そして主人公、古山裕一(実在したモデルは名作曲家の古関裕而)が数々の軍歌を作曲する中で、始めは自らの楽曲が「戦意高揚のため兵士の役に立っている」と信じていたのが、終戦前後になって「自分の歌が大勢の若者を死に追いやった」と痛恨の念に襲われている様子が描写されました。

もちろんこれはドラマ上の創作なので、実在した古関先生がどのような心情でいたのか、知る由はありません(後々、伝記等ご本人が語っている資料があれば調べてみたいと思います)。ただこのドラマ上の心情の描写には、若干の違和感がありました。現代人目線が強すぎるように思えたのです。そしてその違和感は古関先生の作曲した楽曲を聴き返す中で、確信に変わりました。

古関裕而が遺した軍歌

実際にドラマ中で使われた楽曲は、どれも音楽史に残る名曲だと思うのですが、特にその中で印象に残った曲『暁に祈る』を聴き返していたところ、あることに気づきました。

パッと聞いた感じは、よくありがちな勇壮な軍歌のように聞こえます。確かに基本的には、戦争を賛美し、若者の戦場へ憧れる気持ちを高めるための歌、音楽に違いないのですが、2度、3度と繰り返し聞いていると、徐々に聞こえ方が変化してきました

メロディーの中に、深い悲しみ、嘆きが込められているように聞こえてきたのです。それは民族の悲劇を歌い上げるユダヤ旋律のようでもあり、悲劇の伝説を伝える民謡のようにも聞こえてきます。

古関先生が伝えたかった事

そのように聞こえ方が変化して以来、少なくとも私の耳には、歌詞の内容も込みで、軍歌というよりは戦争の悲劇を歌った「悲しみの歌」として心に響くようになりました。そして、ひょっとしたら古関先生は、本当はこの曲の奥底にこういったメッセージを忍ばせていたのではないかと思うようになりました。

太平洋戦争中の日本国内の事情を察すれば、戦争に対して否定的な考えを公にすることは、ほぼ不可能だったことでしょう。そのこと自体は現代まで伝え聞く当時の状況からも推測できます。しかしだからと言って、現代の通説のまま、ほとんど全ての日本人が軍部の洗脳によって「戦争礼賛」「軍国主義」に心から賛同していたのでしょうか?人々は何の疑問も抱かず全面的に戦争に協力していたのでしょうか?

そのように決めつけることは、ひょっとしたら現代日本人の傲慢なのではないでしょうか?だってその根底にあるのは、大戦当時の日本人が現代的な民主主義の観念を知らない、人権その他の権利を知らない前時代的な考えの民族であり、軍部の思想統制、洗脳に容易に染まってしまう人々であったという前提条件でしょう?本当にそうだったのでしょうか?

「面従腹背」だったのでは?

今、私が考えていることは、単に古関先生の楽曲から想起した勝手な妄想かもしれません。しかし、実は古関先生は自らの作曲した軍歌の中に深い悲しみを込めていた、つまり、表面的には軍部に従って作曲しているふりをしつつ、心の中では軍部を非難していたり、戦争を憎んでいた...。メロディーを聴く限り、必ずしも荒唐無稽な妄想だとは思えないのです。

「先の大戦中の日本人は皆、軍部に騙された被害者である」、単純にこのように断罪することは、かえって我々の祖先を貶めることにならないでしょうか?我々の祖先は、そんなにも「思考力」「哲学」に欠ける、騙されやすい思慮の足らない人々だったというのでしょうか?私にはとてもそうは思えません。

少なくとも、背後に戦争、軍部に対する反抗、非難のメッセージが込められているかのような古関先生のメロディーを聴くと、当時の日本人の中には「面従腹背」、表面的には従いつつも心の中ではしっかりとした信念を抱いていた人が多かったのではと思えます。

今まで戦中歌謡の楽曲はあまり聞いたことがありませんでした。ドラマをきっかけに真剣に聞いてみたところ、その魅力を感じたと同時に、当時の日本人について思いを巡らせる時間となりました。あらためて先達、祖先に敬意を表しつつ、平和を願いたいと思います。