演奏家、音楽講師の矜持

以前よりこのブログ内(【音楽教室と著作権について考える】、【続:音楽教室と著作権について考える】、【音楽教室の著作権って?】)で、音楽教室とJASRACによる、音楽レッスン時の著作権料の取り扱いについての争いについて、問題点を指摘してきました。

その後、両者の争いは司法の場へと舞台を移し、長期にわたり裁判が継続しています。そんな中、またまたとんでもない記事が広まり、関係者を驚愕させています。【JASRAC職員、音楽教室に2年間の「潜入調査」 主婦を名乗り…訴訟に証人として出廷も】と題された記事は、短い内容ではありますが、およそ突っ込みどころ満載の記事となっています(近い将来記事がリンク切れになることもあるでしょうが、記事自体短いので、この後に続くお話しで、およそ記事の内容は把握いただけると思います)。

何を「聞かせる目的の演奏」なのか?

この問題について、JASRACの主張を要約すれば、「音楽教室のレッスン内での講師による生徒に聴かせる模範演奏は『著作権法が定める”公衆に聞かせる目的の演奏”に当たる』から、著作権料の徴収対象に該当する」となります。

確かに、講師の「模範演奏」は生徒に対して「聞かせる目的の演奏」ではあります。しかし何を聴かせたいのかと言えば、楽曲の内容ではなく、演奏技術、演奏表現のお手本として演奏します。繰り返します。聴かせたい、見せたいのは音楽家としての講師自身の演奏技術、演奏表現なのです。

作詞家、作曲家には自らの作品に関する著作権があります。ならば、演奏家の演奏技術、音楽教師の指導技術にも、何らかの権利は生じないのでしょうか?真っ当な音楽家、教師であれば、独自の演奏技術、指導法を徹底的に研究し磨き上げます。それを体系化し生徒に伝えているのが音楽のレッスンです。楽曲や歌詞が作詞作曲家による創造物として保護されるべきと言うのならば、演奏家、音楽講師の演奏技術、指導法についての権利はどうなるのでしょう?

現在の法律では、演奏技術、指導法が著作権による保護対象に含まれないことは承知しています。だからと言って、我々音楽家、音楽講師が「飯の種」として磨き上げ誇りを持って用いているものについて、その価値を一切顧みることなく、「音楽のレッスンでは、作曲家の作った曲を使うのだから、とにかく使用料を払え」というのは、到底納得できません。

以前から繰り返してきましたが、「聴衆に対して演奏を披露する目的で開催する演奏会については、著作権料はきっちりと収めるべし」というのが私、鈴木学の立場です。この場合は間違いなく、作曲家が創造した楽曲の世界を借りた上で演奏し、お客様から代金を頂戴するのですから、著作物の使用料として著作権料を収めるのが当然です。

それに対して、音楽教室のレッスン室内で、教師が模範演奏をする際、生徒は教師の演奏技術、演奏表現を聴いています。そして生徒が音楽レッスンに通う目的は、楽器演奏の習得であり。講師の模範演奏を聞いて楽しむためではありません。いい加減にもうそろそろ、この当たり前の事実をJASRAC側に認めてもらいたいものです。

まるで演奏会会場のような模範演奏って??

更に上記記事の中では、目を疑うような頓珍漢な文面が続きます。あまりにあほらしいのですが、あえてその部分を丸々引用します。

「美女と野獣」を講師が演奏した際は、ヤマハが用意した伴奏音源とともに弾いたため、「とても豪華に聞こえ、まるで演奏会の会場にいるような雰囲気を体感しました」と主張

レッスン室内でのカラオケ音源を用いての演奏を聞いて「演奏会会場にいるような雰囲気を体感した」って、この方本気でそう感じたのでしょうか?ひょっとしたライブ、コンサート等、生演奏を体験した経験が無いのでしょうか?

これは完全に演奏家を馬鹿にしています。ご本人にその意図が無かったとしても、我々を侮辱していることになります。我々演奏家は、ライブ・コンサート等人前で「聴かせるための」演奏に臨む際には、普段とは全く異なったテンションで臨みます。芸術家、創造者として、決して妥協することなく全身全霊を込めて演奏します。それをレッスン室内での「教えるための」演奏と同一視されたらたまったものではありません。

演奏家が演奏会に臨む際には、自らのベストな演奏を聞いていただけるように、心身共にコンディションを整え、お客様に楽しんでいただけるよう、様々な工夫を凝らしたり、その演奏会の為に、しっかりと準備を重ねます。それとレッスン室内のカラオケ音源相手の「お手本」演奏が同様の雰囲気だなんて言われたら、悲しくなってしまいます。

レッスン室内では、生徒様がより良い演奏ができ、深く音楽を楽しんでいただけるように、しっかりと演奏技術、演奏表現をお伝えします。演奏会に臨む際には、演奏家として新たな音楽の創造に挑みます。観客の皆様にとって、より上質な鑑賞用の音楽となるように、全身全霊を込めて演奏します。

この2つは、我々にとって全く別の営みなのです。JASRACの方々にも、いい加減そろそろこの事実を理解していただきたいものです。引き続き、今後の裁判の行方を注意深く見守っていこうと思います。