演じること、奏でること

かなり以前に書いたブログ「趣味と娯楽の違い」の中で、その両者の違いについて、「能動的にクリエイティブに何かを生み出そうとする行為が趣味、受動的にサービスを受け取るのが娯楽」と指摘しました。そして私、鈴木学自身はと言うと、趣味として真剣に写真撮影に取り組んでいることをお話ししました。

その後もしばらく、仕事として音楽、ジャズ、サックス(サクソフォン)演奏に取り組み、趣味としてカメラを手に日々撮影を続けてきましたが、ついに娯楽として夢中になるものができました。大衆演劇の鑑賞です!少なくともこの一年半、すっかりハマってしまい、観劇を続けています!

大衆演劇とは、日本全国の公演地を巡る一座によって上演されるお芝居、舞踊ショーを中心としたスタイルの演劇のことで、実は現代日本においても、所謂「旅芸人」の一座がかなりの数存在、活動を続けているのです。

大衆演劇はジャズと似ている!

大衆演劇のお芝居(舞踊ショーも?)の面白いところは、かなり即興的であることです。主要なあらすじ、大切な台詞については大筋あらかじめ用意されているものの、細かい台詞、お芝居の展開については、舞台上で即興的に演じられることが多々あります。

というのも、大衆演劇の一座は大抵の場合、一か月単位で公演地に逗留するのですが、その間毎日のように舞台に上がります。しかもその毎日の舞台でのお芝居の演目は日替わりとなり、一か月間演目が被ることはまずありません。公演先によっては昼夜2公演で、演目を替える場合もありますから、少なくとも60以上のお芝居のレパートリーが必要となります。

長谷川劇団総座長、愛京花さん
長谷川劇団総座長、愛京花さん

今回のブログでお写真(私が撮った写真)を使わせていただいている、長谷川武弥劇団の総座長、愛京花さん(女優さんです)のお話によると、大衆演劇の役者さんは、ほんの数時間のお稽古で、約1時間のお芝居のあらすじ、台詞を覚えてしまうそうです。台詞の一字一句を覚えるというよりも、芝居の情景、お話の流れとして記憶するため、それほどの短時間で、しかも多数の演目を記憶できるそうです。

これ実は、ジャズの演奏と非常に似通っています。ジャズの演奏でも演奏の枠組みとして、事前に用意した楽曲を用いますが、実際の演奏では、かなりの部分をそれを素材とした即興で創り上げていきます。例えば私の場合、恐らく演奏のレパートリーは数百曲ほどあると思いますが、クラシックの演奏のように、楽曲全体が音符化されて譜面になっているのではなく、即興演奏の素材、元となるシンプルな状態の旋律、楽曲だからこそ、それだけの数の楽曲を、何時でも演奏可能なレパートリーとして揃えておけます。

もしも仮に、即興演奏する内容を事前に譜面に書き留めて記憶しなければ・・、なんて状況があったとしたら、ただの一曲だって覚えきれないと思います。あくまで即興の素材としての楽曲、いわば演奏のあらすじみたいなものだから、何百曲も覚えていられるのです。

日々の舞台で磨かれた芸

何故、私は大衆演劇に惹かれるのか?上記のような類似点の他に、日々の舞台でお客様を目の前にして磨かれる芸という、これまたジャズと似た部分に大いに魅力を感じているように思います。本当にジャズ演奏を深くマスターするには、とにかく数多く、人前で演奏する機会を得る必要があります。目の前にお客様がいる、つまり緊張感の高い環境の中で、即興の音楽を作り続けること、これがジャズ演奏を高めるために、必要な条件なのです。

長谷川劇団総座長、愛京花さん
長谷川劇団総座長、愛京花さん

大衆演劇の役者さんは、とにかく毎日舞台に上がります。舞台の合間に稽古して、本番でお客様に披露して、その手ごたえ、感触を基に更に工夫を重ね・・。ジャズの場合でも、私は「最高の練習は本番ステージ」だと考えているのですが、大衆演劇の世界では、これ以上ない密度でこれが実行されているのです。

そんな環境の中で高められた役者さんの芸を見ていると、私は大いに心が揺さぶられます。日々の舞台と稽古によって高められた芸そのものの素晴らしさに加えて、その舞台がものすごく人間的に感じられます。役者さんの人となりがダイレクトに伝わってくるのです。

日々、観客との舞台を通じたやり取りの中で高められる芸・・、これぞ大衆芸能の原点だと思います。そしてジャズも本質的には大衆音楽ですから、酒場で聴衆に向かって、音楽で語り掛け、そのリアクションを得ることにより更に深く音楽を創り上げ、というのが本来の姿だと思うのです。

歌を「演じる」!

長谷川劇団総座長、愛京花さん
長谷川劇団総座長、愛京花さん

先ほどから写真で紹介している、長谷川劇団の総座長、愛京花さんは、たいへん魅惑的な歌い手でもあります。何回か長谷川劇団の公演に通う中、初めて京花さんの歌声を耳にした時は、大いに驚きました。

 

私はもちろん音楽の専門家であるわけですが、その耳で真剣に聴いても、やっぱり素晴らしい歌声だったのです。とにかく「聴かせる歌」だったためすっかり聞きほれてしまいました

実は私は、その日に聴いた歌の、元の歌手のステージでのバックバンド演奏経験がありました。その歌手は歌謡界では高い歌唱技術に定評がある、名歌手です。終演後、観客の送り出し時(大衆演劇の公演では、役者さんに直接声をかけることができます)に、私はそのことを京花さんに伝えました。

長谷川劇団総座長、愛京花
長谷川劇団総座長、愛京花

「僕は元の歌手のバックで演奏したことがあります。その歌手の歌は、確かにものすごく上手かったです。だけど、胸にグッと来たのは今日の京花さんの歌です。感動しました」と感想を伝えた後、返ってきた京花さんの言葉に衝撃を受けました。

 

「役者ですから・・」

何の気負いもなく、にっこりと笑って答えた、この言葉。そうか京花さんは、歌を演じているんだ、役者として歌の世界を歌声で演じてみせたのだと、即座に気づきました。

長谷川劇団総座長、愛京花さん
長谷川劇団総座長、愛京花さん

リスナー、聴衆が感動するのは演奏、歌唱技術そのものよりも、歌の世界の表現による・・、実に当たり前のこととずっと認識してきたのですが、ものすごくハッキリした実例を体験することができました。聞き手にとって、優れた表現力というというのは、すごい威力があるのですね。

とは言いつつ、実はこの「表現力」について、京花さんの場合、元来が素晴らしい役者さんであるからこそ、歌の世界でも素晴らしい表現を発揮なさっていることを忘れてはいけません。どんな役を演じても、舞踊ショーで踊りを表現していても、とにかく京花さんの「演じるパワー」、「女優力」はすさまじいです。観劇するたびに「京花パワー」に圧倒されつつ、毎回、尊敬を深めています。

あらためて「演奏」という言葉に思いを巡らせました。「演じて奏でる」というこの言葉は、実に深いと感じました。「演じる」という部分について、これまで以上に意識を強めて、音楽、楽器と向き合っていきたいと思います。そして、勉強の為に(?)、大衆演劇の公演に通い続けます!!