吹奏楽部=ブラック部活?②

前回のブログ『吹奏楽部=ブラック部活?①』で、吹奏楽経験者の共通した特徴を挙げて、それが、サックスサクソフォン)等、管楽器でジャズポピュラー系演奏をする際に、好ましくない状態である事を指摘しました。しかしながら、そのような生徒さんに「何故、発音のタイミングをピッタリに揃えなければならないの?揃っているのが美しいと感じているの?」と尋ねると、まずこちらが納得できる答えが返ってくることはありません。「そういうものだと教えられたから」というのが、ほぼ全員に共通する答えです。

これは、よく考えるととても奇妙な状況です。誰もがその由来について知らない、もしくは考えたことがないのに「そういうものだ」と信じ込んでいる・・、少々怖くなりませんか?

今時、全体主義って?

そもそも「周囲にピッタリと合わせる事が善」、「自分を全体の一部に」、「誰もそれに疑いを抱いていない」・・、と列挙していくと、これらの語感からは、とても合奏に関する話題は想像できません。むしろ素直に読み取れば、昭和の初めのころの日本を想起してしまいます。戦前の日本の、「滅私奉公」という価値観に縛られた言葉のように思えてなりません。もしも、このような伝統的価値観に縛られた状況で活動している部活動が存在していれば、残念ながら現代日本の価値観では、「ブラック」と認定されてしまう結果につながるだろうと、誰でも想像できるはずです。

改めて言うまでもなく、戦後70年以上経た現代日本で、戦前の価値観をそのまま維持しつつ活動している団体は、まず存在していないでしょう。政治、経済、文化、教育、その他あらゆる分野で、新しい時代に即した価値観へと活動内容、方針、思想が改革されています。しかしながら、鈴木サキソフォンスクールの生徒さんから聞き取って調べた限りでは、現代の中高吹奏楽部には、旧態依然とした思想が今も生き残っている・・、これはいったいどういう事なのでしょう?

音楽はよくわからない

例えば、現代日本の教育現場で、生徒からの「何故○○しなければいけないのですか?」との問いに対して、「昔からそう決まっているから、黙って従いなさい」なんて教師が答えたら、それだけで問題になりそうなものです。しかし、中高吹奏楽部の指導現場では、そんな無法がまかり通っている様子・・。

サックス(サクソフォン)

この問題の根底にあるのは、西洋音楽の事は難しくてよくわからないという、日本人のコンプレックスでしょう

 

「よくわからない=以前からの習慣通りに続けるのが正しい」、「前の先生から教えられた考え方を、そのまま踏襲しておけば、間違いにはならない」、このような消極的な姿勢のせいで、まるで戦前の日本のような、旧態依然たる思想が生き残ってしまっているのだと思います。

指導者側も、実は音楽指導のことがよくわからないから、以前から常識だとされている方針そのままで、部を運営しようとする。生徒側もよくわからないから、周囲の常識通り、もしくはただ講師、指導者の要求通りに従う。その結果、現代社会では異質というしかない常識が生き残ってしまった・・、これが中高吹奏楽部の現状かと、推測されます。

権威主義に打ち勝つには?

音楽の事はよくわからないから黙って従うべき、と考えてしまうから権威主義的指導者、「ブラックな指導者」が生まれ、「ブラックな演奏方針」に縛られる可能性が生じます。よくわからないから賞の評価は絶対的に正当だ、と信じ込むから「コンクール至上主義」が蔓延しやすくなります。本来、吹奏楽、吹奏楽部の存在自体がブラックなはずは、断じてあり得ません。

この状況に陥らないようにするには、楽器演奏を「正しいか間違っているか?」で判断する習慣を捨て去ることです。本来の音楽の評価は、「美しいか美しくないか?」であるべきでしょう?「美しさ」は、あくまで各個人の感覚であり、誰にでもその感覚は備わっています。

正しいかどうかではなく、まず「自分なりに美しいと感じるかどうか?」で評価する事、そこからスタートしましょう。それが当たり前になれば、「問答無用で言うとおりにしろ!」などと暴言を吐く指導者を必要としなくなります。コンクールの結果を必要以上に神聖視する必要もなくなります。もちろん、適切な演奏方針も見つかるはずです。

吹奏楽部の健全な発展の為に・・

現代日本の音楽文化の中で、中高吹奏楽部の存在意義は非常に高いと思います。間違いなく、楽器の演奏人口を底上げしています。だからこそ、健全な方向性を保つことが大切です。青少年の部活動として音楽に取り組む意義、それは音楽を美しいと感じる心を育む「情操教育」でしょう。そのためには、部に参加する生徒皆が、純粋な気持ちで楽器、音楽と向き合い、心から音を楽しむ事、この環境を整える事が何より大切です

そして、部活動を卒業した後にも、楽器演奏を続けるの当たり前になるように、心から願います。部活は卒業しても、「美しさを求める心」の卒業はあり得ません。そして、音楽系の部活動にとって不似合いな「ブラック」な環境のせいで、青少年の音楽人生が損なわるなんて事が無いように、心から願っています。